今日は筆者(KEN)の脳裏に、ある日の寝る前に、突然と、それは一瞬の間で全ての映像(イメージ)が流れ込んできた「人が生きるということ」についてのお話をします。

この話は、貴方に生きる勇気と意義を与えるものになるかもしれません。正しく、宇宙と生命の本質に迫るお話です。

筆者(KEN)の脳裏には、時に突然夢の中で音楽が降りてきます、時に突然と映像やイラストが降りてきます。

今日は、そんなKENの下にある日の寝る前に突然襲い掛かったイメージ、ファンタジーに溢れる世界へと貴方を誘っていきましょう。

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人生は川下り
出典:pixabay.com

貴方は、人がなぜ生きて、なぜ死んで、そして、死後の世界はあるのか、ないのか、魂は何処へ行くのかご存知ですか?

筆者は、はっきりと目で見るようにこの疑問に対して、貴方に答えることが出来ます。

地球全体を宇宙と例えたとすれば、人生とは川下りのようなものです。

地球の表面積の71%を海が占めており、陸地は29%であるそうです。

71%の海に対して、河川の占める流域面積とは地球全体で一体どれほどでしょうか。3%程度の微小なものでしょう。

私達の人生は、そんな河川が、海に出るまでの微小な短い間の出来事であると言えます。

私達は、生まれた時、川の最も上流の石として、川に解き放たれます。

石(魂)の大きさ、重さ、丸みなどは、人それぞれです。

石(魂)は急流の流れと共に転がり、やがてごつごつとした岩や石(他の人々)などが混在する場所に定着し、しばらくの間動かずに急流に揉まれ続ける日々を過ごします。

様々なサイズの岩と石は(色々な人々は)互いに削り合い、切磋琢磨して、やがて小さく丸い”玉のような石”となっていくことでしょう。

石は、周りを石や岩でガッチリと固めてもらえる逃げられない環境(同僚との信頼関係・家族を養う諸々の事・家のローンなど)で、

しかも流れ(外部から受ける厳しさ・強制的な試練)が強くなければ、上手く削ることが出来ないのです。

そして、その中で、自らも石(意思)であると自覚し、他の石達(社会)を利用して、自ら高速回転(自ら試練を課す、同じ職場でもボーっと過ごすのではなく、意欲的に働く)するとさらに削れます。

そうして、ある程度削れたら流され、また川のどこかに定着し、また周りの石と共に削られる日々を繰り返して最終的に大海へと辿り着きます。

ある日、ある程度削れた石(魂)か、もしくは異物を付けて醜悪な大きさで凝り固まった石(魂)は、いずれにしても、ぽっと川の流れの中に投げ出され、海(あの世)へ一気に流されるわけです。

石(魂)は、川(この世)にいる間に、出来るだけ小さく丸くなる必要があります。

なぜならば、石は最終目的地である大海(あの世)を目指しているからです。

一度大海(あの世)に出てしまえば、河川(この世)のように、石を削ることの出来る急流もなければ、様々なサイズの削り合ってくれる石や岩(人々)もありません。

貴方が日頃プレッシャーに感じる人物(他の石)や嫌な人(凸凹石)がいるからこそ、貴方”も”削れ成長できるのです。

海(あの世)に出た時の石のサイズと重量によって、同じ性質の石達が最終的に行き着く海が厳密に決まっているのは、物理法則なのです。完全なる住みわけの世界が実現しています。

これは地学(Earth Science)でも、証明されている理論で、実際に小さい小粒の石(砂)は遠洋の深い深海へと堆積するのです。

人生とは川下り
出典:pixabay.com

ごつごつした岩のような荒削りの石(魂)は、波打ち際にすぐに堆積します。

海水浴客やサーファーが怪我をするあの鋭い石や岩達です。

逆に小さく丸く軽くなった砂のようにまで削れた石(魂)は、遠洋の美しく綺麗な海へと辿り着くことが出来ます。

遠洋の深海とは、(神界)のことかもしれません、いずれにしても、小さく丸い石は、遠洋の美しい海へ自由自在に流れ着くことが出来るわけです。

河川の頃のように、様々なサイズの岩と石が混在するようなことはありません、厳しい住みわけの世界で、同じサイズで重量の石同士が同じ場所に堆積するのです。

ごつごつした岩は、波打ち際に堆積し、引き潮の時は、砂浜から見えるまでに露出します。

これは、言って見ればこの世である河川から見えるわけですから、幽霊と言うことが出来ます。

つまり、ごつごつした岩のまま海に出てしまえば、幽霊として地上に時に現れるような次元の低い世界にしか旅立つことが出来ないのです。

逆に小さく丸くなった石(魂)は自由自在に大海(あの世)を彷徨うことが出来、好きな美しい海を漂流し楽しむことが出来ます。

さらに微小な粒へと削れた石(魂)は、もはや海(あの世)に留まることは出来ません。大空(宇宙:神々の世界)へと飛び立つでしょう。

ここでは地球を宇宙として例えていますので、宇宙全体を好きなように浮遊して回ることが出来るまでの進化、これは神の領域へ入ったことを意味するのかもしれません。”千の風”となるわけです。

海(あの世)では、先ほども説明した通り、石(魂)のサイズを削る(進化させる)ことは出来ません。堆積した石の周りには自分とほとんど同じ性質の石しかおらず、堆積した海底には波がありません、そこが極楽なら極楽、地獄なら地獄、、、とただひたすら堆積(単調な毎日)を続けるだけなのです….。

川(この世)のように命懸けのスリルが無い分、波瀾万丈は一切無く、変化が無いのです。

石達は思います。

「もっとキレイな海に堆積(生活)したかった。もっと世界中の海を漂って旅がしたかった….。」

(階層の高いあの世ではこの世の比にならないほどレジャーと楽しさが充実しているからです。)

海(あの世)とは、本当に永い永い時間です、堆積した石が再び河川の上流に戻されることは物理的にあり得ないのです。

物理的にあり得るのは、河川(この世)から大海(あの世)へ自動的に流れ出るということだけです。

そして、石(魂)を削ることが唯一可能なのが、川(この世)なのです。

そうして永い永い期間を海に出た時の大きさである自身の石のサイズに比例した海底で過ごした石(あなた)は、より良い海(魂の高い階層)で暮らしたたいと志願し続けた結果、永い期間を経て、、やっとの想いで、それは”神”かもしれませんし、英語圏で呼ばれる”Something Great”と呼ばれる”何かの偉大なる力”の導きかもしれません、河川の上流(この世に赤ん坊として)に再び生まれ出ることが許されたのです。

そして、ここからまた、貴方(石)は、大海(あの世)に物理的に押し流されてしまうまでの短き短き間において、貴方という石(魂)を出来るだけ小さく丸く軽く削っていかなければなりません。

なぜならば、それはあなた自身が希望したより美しい海(高い魂の階層)へ辿り着くために、世界中の海を、ゆくゆくは大空を自由自在に(神々の仕事を担う領域へ)旅して回れるように。

大空を飛ぶ領域となれば、もう川に生まれ出ることも海で堆積することもありません。全てが自由自在で、人々を教え導く”神々の仕事"を任されていきます。進化した魂の行き着く領域です。

しかし、川で他の石(人)を理不尽なイジメ方をしてしまったりしたら、他の石(人)を邪魔だからと急流の流れへ蹴って出して海へ流してしまったら(殺めること)、、、、藻を何重にも巻きつけ、もっと悪い海へ解き放たれることにもなるリスクが付いています。

大半の石(魂)は、この川(この世)と海(あの世)の繰り返しを、卒業できないのです。大空(神々の世界)へは重たくて大きくて飛び立てません。毎回、川での修行に落第をくらい、川(この世)へ戻ることになります。これが「世の中、厳しい」と言われる所以です。

人生とは川下り
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私達を石(魂)と例えるならば、小さく丸く軽く削らなければならないということが分かりました。

これは実際の魂の性質とも非常に似ているのです、魂も何物にも捉われない小さく丸く軽い存在こそ、宇宙と一体となった大きな力を発揮します。

自我で凝り固まったゴツゴツした大きく重い岩では、現実界では見栄えが良いですが、その大きさしか力を発揮しません、宇宙と一体となった”全体へ”の働きが出来ません。

この限られた河川の期間に出来るだけ自身の石を小さく軽く丸くするか、それは、出来るだけ、急流に飛び込むことです。

貴方は、貴方が生まれる河川を選んで生まれてきています。

強い意志(石)のある魂ほど、厳しい環境に生まれ落ちます……。

その結果、自ら与えた厳しい試練に耐えれずに自殺してしまったり、殺されてしまうことがあるのです。

勿論、これは前世(前の川)で人を傷つけた因果の昇華の為でもあります。

自分が以前生きた河川の時に付けてしまった藻や異物を一刻も早く取り払いたいと、急流を選びすぎてしまったのかもしれません。

特に、自殺をしてしまった石(魂)は、自らの意思(石)で川の表面に逃げ出して一気に海(あの世)へ投げ出され、今回の河川で長く沢山削る予定だったものが少ししか削れずに海へ戻され、また永い期間を悪い環境の波打ち際で過ごします。

そして、その姿は、ある時間、、引き潮の時などに、時に河川にいる私たちから見えてしまうこともあるかもしれません…..。

さて、このように厳しい急流を自らに選びすぎてしまうのも問題であるのですが、出来るだけ急流に飛び込んだ方が良いでしょう。

急流(貧乏であったり様々な過酷な環境)の方がより確実に早く石は小さく丸く削れるからです。

ここに、「苦労は買ってでもせよ」という世界中で受け継がれるコトワザがあることは”真理”なのです。

そして、自らが修行(玉削り)を自覚して、更なる高速回転をすることが大事なのです。

さらには、周りをゴツゴツとした岩や石でガッチリと囲まれて固定されたほうが、削れる表面積と威力が違います、是非、貴方は周りに囲まれて逃げられない環境を作ってあなた自身を削っていくとよいでしょう。

その逃げられない環境とは、家族を養うだとか、男としてのプライドであるとか、女性として美しく生きる姿勢であるとか、大きな目標の為に組織で自分を鍛えるだとか、会社だとかでしょう。

逆に、事業の為に借金をして自分を追い込むだとか、そういう追い込み方は辞めた方が良いでしょう。

このように出来るだけ急流に自ら飛び込んで、ガッチリと周囲を同じような石(意思)、様々な石で固めて貰って、出来るだけ河川にいる間に石(魂)を小さく削りましょう。

急流で努力せずに、楽に下流に流れ着いて、優雅なリタイアライフを送るのは、正直損です。河川の下流は、海よりは多少削れますが、ほとんど石(魂)を削って小さく丸くなることは出来ません。

折角、念願の河川(この世)を川下りしているのに、石(魂)を小さく削れないなんて、ハッキリ言えば、損をしています。川(この世)で楽をすれば、損をしているも同然です。

石が大きく重たいままで、再び、大海に流れ出れば、変化のない退屈すぎる世界で永い永い期間を過ごさなければなりません。

それが嫌で、私達は、神様に「どんなに苦しいことがあっても構わない、怪我をしようが、どんな酷い目に遭おうがこの世(川)に生まれ出てもう一回魂を修行(石を小さく)したい」と志願して川の上流へ生まれ出ることを許可され、物理的にあり得ない移動をしてもらったのです。

石(魂)を削っていくと、綺麗に丸くなっていきます。玉のような石です。

そうです。「玉石(たまいし)」=「魂」だけの存在になるのです。

注:日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が同じルーツであること)によると、日本語とは、古代ヘブライ語から派生しており、古代メソポタミア文明を創りだしたと呼ばれる飛来してきた火星の人々の叡智が注ぎ込まれている為に、言語において不思議な一致が生じます。

人はなぜ生きるのか
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石(肉体)はやがて削れて丸くなり、軽くなって、玉らしくなった時に「魂となって」新たな旅へ出かけるのです。

いたずらに「丸くなろう」としても、成れません。

周囲と切磋琢磨し、時に削り合い、時にぶつかり合った結果として「丸く成れる」のです。

そして、石が砂のように、砂よりも小粒に削れた時に、大海を自由に旅し、そして、ついには海を離れ大空へと昇華され、宇宙全体を眺めるポジションとなっていきます。

大空を舞う粒子は、物質の最小構成粒子、素粒子と呼ばれる粒子かも知れませんし、素粒子論の世界で、”神の粒子”と呼ばれる「ヒッグス粒子」となっているかもしれません。

いずれにしても、この程度まで進化した魂(玉)は、無数にある神々の仕事の1つを担うようになります。

是非、皆さんも、今私達が置かれている河川(この世)は、私達が望んで生まれ出た場所であり、大海(あの世)へ流されてしまうまでの貴重な短い期間で、いかに楽するかではなく、いかに急流(自分に合った過酷な環境)で自らを揉んで修行していくことこそが、

自分自身が真に望み、大海(あの世)に出た後の比べ物にならない永い永い日々を幸せに生きることが出来るということを覚えておいてください。

そして、いずれはこの川(この世)と海(あの世)の繰り返しを完全解脱し、大空の民(神々の世界に住まう者)となっていくためにです。

もし、大海(あの世)に出た後に、小さく丸く軽く成りきれなかった貴方という石(魂)は、より美しい海を求めて、もう一度河川に生まれ出なければならなくなってしまいます。そして、小さく丸く軽くなることが容易でないからこそ、私達は何度も何度もこの河川(この世)に生まれ出ては、川下りをしているわけです。

この短い川下りは、急流で、周りにガッチリ固められたほうが、より削れるために、お得であることをしっかりと覚えておいてください。

どうぞ神経をすり減らして、肉体を削るような試練を自らに課すことを恐れずに、この貴重な人生をエンジョイして下さい。

このお話は筆者(KEN)の脳裏に稲妻と共に降りてきた根拠のないお話であることをご了承ください。

貴方の人生が”有意義な”ものになるように、筆者(KEN)はエールを送ります。

最後までお読みいただき、誠に有難うございました。