今日は、全ての物事は、帳尻が完全にあっている、という普遍的な真理を解説してまいります。

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■ 木からリンゴが落ちるように、全ての物事は帳尻が合う

物事の帳尻が合う
出典:pixabay.com

全ての物事は、帳尻が完璧に合うのです。

先日、筆者(KEN)は、知人の50代の男性の突然の訃報に一瞬、心が泣きました。

おそらくKENはその方が心不全で亡くなるその日に小雨の中で笑顔で会って癒されています。

あの生き生きとした愛の生命体が亡くなってしまうなんて、本当に衝撃でした。

聞くところによると、3日間無断欠勤が続いて職場の人が自宅へ訪問すると既に亡くなっていたのだと言います。

私は驚きと同時に深く悲しみましたが、その方は、天国で非常に素晴らしい人生を送ることを確信して、悲しみも癒えました。

その方は、少しおっちょこちょいで少し可笑しなところがある人でした。

しかし、根が真面目で、常に人に笑顔で接し、周囲の人から「○○のおっちゃん」と呼ばれ、愛されていました。

しかし、器量というか要領が悪そうなイメージの方ではあったので、とても苦労し続けて朝から晩まで仕事を続けている方でした。

「この方は、人生で、一体どれだけの楽しいことを経験して亡くなったのだろう?」

(おそらく、勝手な予想ですが、20代からひたすら働き続けて、独身だったらしく50代でも働き続けたのだど思います。)

この方の人生を思うと泣けてくるのでした。

しかし、人生とは”川下り”のようなもの、この世とあの世の不思議な話でお話した通り、

この方は魂の修行の為に、自らに重荷を課し続け、この世という不安定な幻の世界で幸せを得ることよりも、永遠の生命での幸せの為に、この世と言う貴重な修行の次元を最も効率よく利用し切った、”最もお得な方”であることを改めて再認識しています。

この方は、50代の男性ですが、江戸時代の絵巻物で街の商人として登場しそうな風貌の方で、普段とても可愛らしい笑顔で愛嬌がありましたが、あまり頭は良くなさそうで、、、(実際も少しドジでした…。)、少し意味不明に好戦的なところもありましたが(笑)、、、、人と人とのつながりにおいて、いい加減そうにみえて、礼儀や気遣いの出来る方だったと思っています。

今でも私の脳裏には、その方の笑顔が離れません。

このような方は、例えば裏で悪人をやっているだとか、家族に酷いことをしているとか、そういう人ではないのは、KENの目には映っています。

必ず、高い魂の世界へと旅立ち、その世界では、この世的な楽しみの何から何までを存分に楽しまれることは、KENには手に取るように分かっています。

この方のご冥福をお祈りいたします。

このように、この世だけで見れば、理不尽だらけのやるせないストーリーだらけなのです。

しかし、この世とあの世を1セットで考えた時に、完全に帳尻が合うことをこれを読んでいらっしゃる方に是非、信じて欲しいですし、覚えておいて頂きたいのです。

全ての人間がDNAレベルでもつ”アカシックレコード”に、貴方の思考、言動、行動の全てが太古から映像付きで記憶されているという驚愕の宇宙データベースが存在するのです。

 

 

 

 

■この世から、あの世が認識出来ないのには、理由がある。

北極 南極 旅人
出典:pixabay.com

この世において、あの世の存在がほとんど見えにくくなっているのは、魂の本性を出させるためだと思ってください。

魂の本性は自分で形成するもので、決まっているものではありません。

もしこの世において、あの世とTV中継が繋がっていたら、この世とあの世の仕組みの全てを私達は知ることが出来ます。

その結果、全ての帳尻が合う、悪人は地獄へ、善人は天国へ、魂のレベルに応じた細かい住みわけの世界へ旅立つことを知ります。

原因と結果の全てを知る私達は、みんなが地獄へ堕ちることを怖れ、天国の圧倒的快楽を知るために、善人に成り、猛烈に努力する人々で溢れることでしょう。

しかし、その原因と結果を知った人々が、地獄堕ちを怖れ天国の永い期間の圧倒的快楽の為に、善業に励んだ結果、本当に善人に成り得たのでしょうか?

本当に、自分と利害関係のない、世界中の苦しんでいる人の痛みを自身の痛みと感じ、何かしてあげたい、何かしたいと思える魂になっていると、どうして判断が出来るのでしょうか?

答えは、「判断出来ない」のです。

本当に霊性の高い魂、愛のある魂とは、自身がどうなろうとも、他者の不幸を悲しみ、会ったこともない他者がどうぞ無事で幸せであってほしいと無私の感情で、無条件で願え、そして何かしら小さくても良いから行動を起こせる人です。

このような魂は、この世とあの世の強制的な往復(輪廻)から完全に解脱し、神々の世界の住人となり、神々の仕事の一端を担うようになっていきます。

この「魂の選別」とも言える、永い永い過程において、この世とは、最も魂が試される試験場であり、修行場であると言えるわけです。

試験場では、答え合わせはできません。受験に挑むときに予想問題集(この記事のような)くらいは手に入るわけです。

人に対して愛を示し続け、いかなる理不尽な状況でも悪人になる道を断った勇敢な魂には、あの世の事が正確に確信できる様々な感覚が備わっていきます。

それは、霊を見るとか、神様を目撃するとかではありません。そういった奇異を求める魔道とも縁を持たなくなります。

その人の創りだすもの、言葉から本質が、神のDNAを感じさせる何かが、滲み出てくるものです。

この世であの世のことが分からなくされているのはこういった魂の性質を試す理由があるわけです。

全ての事件事故が悲しい。

人が不幸にならないで欲しい、幸せでいて欲しい。

動物が愛おしいから愛する。

家族を”始め”、全ての関わりある人に優しく接し、大切にする。

行ったこともない世界の貧困と紛争で苦しむ人々の為に何かしたい、何かする。

こういったことを利害関係を一切考えずに、そして時に命を惜しまずに行動できる人間が、真に高い魂の人間と言え、高い世界へと昇華していくことが出来るのです。

やるぬ善よりやる偽善

天国に行きたいから、人から良く思われたいからでも構いません。

偽善でもやり続ければ本物です、そして、本当に偽善であれば、やり続けるのは不可能なのがこの世のシステムです。

この記事をお読みいただいた貴方には、是非、全ての帳尻が合うということ、愛こそ全てであることをしっかりと認識して頂きたいと思います。

最後までお読みいただき、有難うございました。