今日は、全ての物事は、帳尻が完全にあっている、という普遍的な真理を探究していきましょう。
木からリンゴが落ちるように、全ての物事は帳尻が合う
悪いことをやってもバレなければ得をすると考えている人が世の中に一定数います。
人に嫌がらせをしても、自分に帰って来ないと考える人がいます。
本当にそうでしょうか?
確かに、他人から見れば、悪人や悪どい人は何の裁きを受けずに得をしていると見えるかもしれません。
筆者がこれを断言できるのは、筆者自身の経験もあります。
筆者は結構オカルトと呼ばれるジャンル全般が好きですので、20代の頃は暇さえあれば、2ch(現:5ch)のオカルト掲示板のまとめ記事を読み漁っていました。
とにかく迫真の体験談が集まっているので面白すぎて中毒症状をおこしていました。
その読んだまとめ記事の数は5年くらいの歳月に及びますので、膨大なもので、オカルト版で有名な怖い話は全て読破しましたし、それ以外にも不思議な体験、不可解な話をまとめた記事もかなり読み込みました。
勿論、2chは、匿名掲示板であり、投稿する内容は真実も嘘も小説も織り交ぜられているでしょうが、やはり体験談と称されたスレに投稿される話は真実の体験談が多いと思います。なぜならば匿名だからです。
実名やハンドルネームで話を投稿するならば、多少、話を見栄えよくする必要も生じるかもしれませんし、体裁を保つために嘘も盛り込むかも知れません。
しかし匿名にはその必要がありませんし、匿名でも身内や友達に身バレしそうな特別な内容の場合は、身バレしないようにフェイクを織り交ぜていることが宣言されている場合も多いです。
やはり莫大な数のデータがそこに存在したのです。そして、実は先程読み込んだと言いましたが、実際は読み込めないほど、悲惨で酷い因果応報の内容だったのが本当のところです。
私達は、現在までに個々で体験してきた人生は限られており、人に話せる面白い体験談、衝撃的な体験談というのは幾つかに限られてくると思いますが、
そういった個々の体験談がたった1つでも投稿され、それが膨大な数となったものを趣味として長年読み込んでいた筆者は、因果応報、見えない世界の存在を確信するに至ったのです。
もし仮に、悪人がこの世で報いを受けずに死んだとしても、あの世で報いを受けるということも、2chのオカルト版を読み込むことによって確信に至れるかもしれません。(しかし”怖い話”は霊的には凄く悪い影響を読んだ人に与えますのでオススメはできません。)
筆者は元々も見えない世界の存在は自身の体験から信じていましたが、様々な人の真実と嘘が混ざった体験談を読み込むことは、この世の中の真実の姿を探し求める上で非常に有効な手段と言わざる負えません。
この世から、あの世が認識出来ないのには、理由がある。
出典:pixabay.com
この世において、あの世の存在がほとんど見えにくくなっているのは、魂の本性を出させるためだと思ってください。
魂の本性は自分で形成するもので、決まっているものではありません。
TVのレポーター、女子アナなんかが、「コチラは今、地獄です!日本で活躍していた○○さんがいます!ちょっと苦しんでいるようですけどインタビューしてみましょう!」
「うるせぇ!アッチ行け!人が苦しんでいるのが面白いのか!」
とこのように全ての実相が暴かれてしまうでしょう。しかし、それでは、意味がないのです。
さて、人は、全ての帳尻が合う、悪人は地獄へ、善人は天国へ、魂のレベルに応じた細かい住みわけの世界へ旅立つことを知ります。
原因と結果の全てを知る私達は、みんなが地獄へ堕ちることを怖れ、天国の圧倒的快楽を知るために、善人に成り、猛烈に努力する人々で溢れることでしょう。
しかし、その原因と結果を知った人々が、地獄堕ちを怖れ天国の永い期間の圧倒的快楽の為に、善業に励んだ結果、本当に善人に成り得たのでしょうか?
本当に、自分と利害関係のない、世界中の苦しんでいる人の痛みを自身の痛みと感じ、何かしてあげたい、何かしたいと思える魂になっていると、どうして判断が出来るのでしょうか?
答えは、「判断出来ない」のです。
本当に霊性の高い魂、愛のある魂とは、自身がどうなろうとも、他者の不幸を悲しみ、会ったこともない他者がどうぞ無事で幸せであってほしいと無私の感情で、無条件で願え、そして何かしら小さくても良いから行動を起こせる人です。
このような魂は、この世とあの世の強制的な往復(輪廻)から完全に解脱し、神々の世界の住人となり、神々の仕事の一端を担うようになっていきます。
この「魂の選別」とも言える、永い永い過程において、この世とは、最も魂が試される試験場であり、修行場であると言えるわけです。
試験場では、答え合わせはできません。受験に挑むときに参考書や予想問題集くらいは手に入るわけです。
誰かに対して復讐をする必要はありません。
全て完璧にその本人に帰るからです。
帰るのが宇宙の法則なのにそこに対して自ら手を加えて復讐をすれば貴方に新たな復讐が帰ります。
復讐という概念を持つ人は例えそこに正義があろうとも地獄の民となり得ます。
争いの現場でそこに正義があるならば、その”時”に戦いきることです。
後から過ぎ去ったことを追ってはいけません。
呪うような気持でいても、その呪いの気持ちが貴方に帰ります。
ほっておけば、復讐は宇宙が厳密に死んでも逃さずします。
これが、誰にとっても、一番、怖ろしいことです。
それなのに自分であれこれ恨んだり、復讐すれば、自分に新たにそれが帰るので大損なのです。
全ては宇宙の厳密で厳正なる法則に委ねるのです。
そして、それに信じて委ねることが出来る人しか、高い神の世界へ帰ることはできません。
人に対して愛を示し続け、いかなる理不尽な状況でも悪人になる道を断った勇敢な魂には、あの世の事が正確に確信できる様々な感覚が備わっていきます。
それは、霊を見るとか、神様を目撃するとかではありません。そういった奇異を求める魔道とも縁を持たなくなります。
その人の創りだすもの、言葉から本質が、神のDNAを感じさせる何かが、滲み出てくるものです。
動物が愛おしいから愛する。
家族を”始め”、全ての関わりある人に優しく接し、大切にする。
行ったこともない世界の貧困と紛争で苦しむ人々の為に何かしたい、何かする。
こういったことを利害関係を一切考えずに、そして時に命を惜しまずに行動できる人間が、真に高い魂の人間と言え、高い世界へと昇華していくことが出来るのです。
やるぬ善よりやる偽善
天国に行きたいから、人から良く思われたいからでも構いません。
この記事をお読みいただいた貴方には、是非、全ての帳尻が合うということ、愛こそ全てであることをしっかりと認識して頂きたいと思います。
最後までお読みいただき、有難うございました。
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